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本。

2013.04.16 15:59|SFbay 暮らし
久しぶりに、とても心地よく読んだ。
世界観も、日本語も。

IMG_1118.jpg

普段、友人間で、
あれこれ勝手に想像して膨らませることを、
妄想癖が!なんて、ふざけて言ったりする。
言いながらも、安い妄想している場合じゃないよなぁ、
と自覚はしていたけれど、
本を読みながら、改めて自戒の念が。

使い古された貧弱なイメージに甘んじていたくない。。
もう一歩でも深く、肌で感じ、咀嚼した想像力をね、
それをもってものづくりが出来るのではないかと。。
地とつながった想像力を前にそんなことを思いました。


感動する時って、
理屈で理解するわけじゃなくて、
意識出来ていない心に直球に届くようなので、
プルプルする心に、そこで感動するんだ!?と、
自分で驚いたりする。

今回、なぜか目頭まで熱くなって、
涙までこぼれたのは。。

「フキノトウ」のところ。
小鬼と蕗の薹を一緒に摘んだことを”おかみさん”に話した時、
『 ー 今日はもう啓蟄ですから。』
と答えたところで、
ぱっと、日本の家の庭の景色が広がった。
春の光と黄緑色に包まれた中、
地面にしゃがみこんで摘んでいる自分がいて、
そしてそれを喜んでいるのは自分だけではなくて、
あちらこちらにいろんなものの命が喜んでいるのを感じられて、
自分はただ、そこの一員にすぎない。
こころが震えたのは、
そのことの、つながった世界の中にいることの安堵だったのかと思う。

そして同じ見開きの反対側のページ
「セツブンソウ」のところで、
別の話(ペンを使っているのに「筆が進まない」という言葉を使う事)から
また小鬼の話にもつながる。

『文明の進歩は、瞬時、と見まごうほど迅速に起きるが、実際我々の精神は深いところでそれに付いていっておらぬのではないか。鬼の子や鳶を見て安んずる心性は、未だ私の精神がその領域で遊んでいる証拠であろう。鬼の子や鳶を見て不安になったとき、ようやく私の精神も時代の進歩と齟齬(そご)を起こさないでいられるようになるのかもしれぬ。』

実際我々の精神は深いところでそれに付いていっておらぬのではないか。

これ、いろいろなところで感じます。。
心を置いてけぼりにして、進化とか言っていること多くないか?
頭で理解しても心はまったくついてこなかったりする。
心に落ち着かせるまで時間がかかったり、全く受け入れられなかったり。
でもそれは自然なことなのかもしれない。
今は変わり過ぎる。
そんな中にいるからこそ、大地にすがりたい欲求は強くなるし、
手仕事がもたらす平穏の中に居心地の良さをみつけるのかもしれない。

とにかく。
いい本でした。

IMG_1091_20130417072714.jpg
ここにいても、
柿の葉の黄緑色が見られることに感謝。

IMG_1085.jpg
ネコヤナギの木が藤の木になっています。。




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プロフィール

アヤ

Author:アヤ
大きな木のもとで、
ロップイヤーのたんぽぽと、
ボーダーコリーのフィン、
2人と2匹で暮らしています。

たんぽぽ(ロップイヤー)2007/1/4 生まれ

フィン(ボーダーコリー)2009/6/3 生まれ

アズー(ブルーボタン) 2014/11/21生まれ

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